【連載30】チャック近藤の昔々

昔々第30回

FC会報誌「C.K.Press」(1997年~)でインタビュー掲載したものを、 月に1度連載します。
ドキュメンタリーでお届けしています。

悲しいことに‘85の夏に最愛のお母さまが亡くなられ打ちひしがれる暇もなく、CAVERN CLUBオープンから5年程経つとバブルの時代に入りだして、親会社が色んな事業に展開を!

全国に系列店舗をどんどん増やし、またお気に入りの俳優がレースに出たいと言えば出資し、映画を作り、渋谷には生演奏のディスコをオープンなどなど結構なバブルぶりだったそうで。LadyBugはその恩恵にあやかったのでしょうか!?「う~ん、ちょいと複雑な気持ちだった覚えがあるな。」と申しますと!?「全国に店舗展開したためにその店(殆どKento’s)のオープンごとにゲスト出演で新潟、仙台、沖縄。あとどこ行ったっけかな~。」へー、六本木キャバンを離れられなくて事務所に来たお仕事は殆どRバンドに譲ってた!?のに全国展開でゲスト出演ですか。「しかもね、各地方の店舗のオーナーさんは非常に手厚く迎えてくれたんだけど特別なギャラなんてものは全く無かったんだよな。」えーっ、噓でしょ。そんな仕事ってあるんですか!?「うん、当時はそんなもんかと」へーそういうもんですかね。「でもね、ちゃっかりバブルに便乗した部分もあるけどね。」と言いますと?「‘86の1月に無理言って何日間かの休みを貰ってアメリカ→ハワイに行っちゃったもんね。」なるほど、でもそのくらいのご褒美!?は当然だと思いますね。仕事漬けの5年間ですものね。

「で、そのアメリカでラッキーだったのは顔見知りが二人いて一人はJTBの駐在員と、もう一人は元六本木キャバンの従業員で世界をサスラッテいる男だった。彼は街中とか案内してくれて、JTBの彼は空港に迎えに来てくれたり楽器あさりにハリウッドなんかに付き合ってくれて大分助かったよ。アメリカを離れるときは元従業員が空港まで送ってくれてね。」それは良かったですね。アメリカでの収穫はあったんですか?「うん、収穫はギター、ベースを入手。そんでアンプまで買っちゃってね。」結構な買い物ですね。でもどうやって持ち帰ったんですか?「そう、そこで友人のJTB駐在員がいてくれて助かったのよ。彼がJAL Cargoってのを手配してくれてコンテナを借り切り難なく解決って訳。」うまい具合に行くもんですね。チャックさんの人脈って海外に行ってもCNNの特番や世界中のメディアに取材されたりで色んな方がいるんですね。どこ行っても悪いこと出来ませんね。

「結構アメリカは気に入ったな。人とのコミュニケーションだったり、何と言うか馬が合うってのかな。そうそうロスで街うろついてたら喉乾いちゃって昼間っからバーに入ったんだよ。」昼間っからやっているんですか。「んで、僕の一番好きなビールはアメリカンでミケローブっていうんだけどカウンターでそれを注文したら『ドラフト!?ラガー!?』って聞かれたのには驚きと喜びだったな」何がですか?私はお酒飲めないのでサッパリ分かりませんが。「つまり、瓶でしか飲んだことが無かったお好みビールを生ビールで飲めるってこと。分かった?」私にはよく分かりませんが、そういう事なんですね。「あとLittle Tokyoを歩いていて小物屋に入って見ていたら店員が寄ってきて『こちらの方ですか?』って聞かれたんで、いいえと答えたら『ではヨーロッパの方から?』って言われたんだよ。いくら髭面だったとは言えね。」いやいやいや、私もよく『チャックさんは何人(なにじん)ですか?』って聞かれましたよ。「そー言やあキャバンでも外国人のミュージシャンに『おまえはどこから来たんだ?』なんて聞かれたこともあったっけな。」でしょ。

アメリカを離れ一路ハワイはマウイ島へ。「マリオットホテルはSee View Roomだってのに真っ暗で何も見えなくてさあ」だって夜にチェックインしたって言ってましたよね。「そーだった。マウイのあの頃は日本人は殆どいなかったな。海には足しか入らずゴルフをやった程度だったけどね。夕日が奇麗だったなー。」良いなーマウイ。連れてってー!

「マウイにはオアフから小型機で行くんだけれど、帰りにブッキングが悪かったのかファーストクラスに変更になって15分位のフライトだったけどツイてたな。それがさ、その時のスッチーが時間が空くとファーストクラスの席へ来てスッパスッパ煙草を吸ってたっけ。」へー、その頃はまだ吸えたんですね。「ちょーどうるさくなり始めた頃だったな。」

「いよいよ帰国する日にオアフの免税店で驚くことが起きてね。何と、遠くから3,4人の女性の声で『チャックさーん!』と。どこで見られてるか分かんないね。」そーですよ、気を付けてくださいね。だから言ったでしょ、悪いことは出来ませんよ。

現実に戻り、毎日の演奏に頑張るチャックさん。毎年の12月8日に創立記念日としてイベントをやっていました。そこでマンネリを防ぐためにも月一のイベントをやろうと思いつき、始める事にしたのでした。

そもそも毎月のようにEggmanでオリジナルライブをやっていたにも関わらず、何で月一のイベントをやることに至ったのかは深い理由があったようです。そのあたりをじっくりと伺ってみましょう。その前に、創立記念イベントは結構奇抜な催しもあったようで、お客さん参加の、今で言うセッションとは違ってLadyBugと一緒にと言うものや従業員バンドの演奏とかでした。お客さんの参加は声楽家のような女性がThe Long And Winding Roadのメロを変更!?して歌ったり、中には主旋律をチャックさんに歌わせて『チャックさんにハモりたい』と言う参加者もいたようでした。何となくわかる気がしますね。それでLadyBugの一員の気分になるんでしょうね。そして従業員バンドのメンバーの中にはLadyBugに憧れて今もビートルズのトリビュートバンドで活躍している人もいますね。

さてこれからこの章の本題です。なぜ月一のイベントに繋がるのでしょうか。「それはね、イベントで仙台に行ったときに飛んでもない事が起きたのよ。」飛んでもない事って一体どんな事なんでしょう?「仙台のイベントが終わってホテルに帰ったところでメンバー3人から話があるって事務所の社長と林ゆたか氏を部屋に呼び、チャックの下ではやってられないという事を言い出したんだよ。」何でまたそんな事を言い出したんでしょう。「楽しくワイワイと日々を過ごしたいという事らしい。」いやー理解できませんね。チャックさんあってのLadyBugだという事は誰でも分かりますけどね。「厳しい演奏活動より軽音部のような気楽な毎日をとでも思ったんだろうね。」そりゃー楽しいことに越したことはないけれど仕事は遊びではないし、厳しい演奏活動を繰り広げていたから支持されてたのでは。{それで言うに事かいて年長の源ちゃんが社長と林さんに『僕たち3人とチャックさんとどっちを取るんですか?』と言わされてる感見え見えの声で言ったんだよ。」よくもそんな事を発想して言えたものですね。チャックさんはどう思ったんですか?「うーん、誰の考えでそこに至ったのかを考えたら源ちゃんは年長だし人が良いから言わされたなと分かったし、ドラムのひろしは昔から風見鶏で多数に就くという人間だったから、言い出しっぺは新メンバーだろうと察しはついたよ」。だって新メンバーはチャックさんが周りの反対を押し切って雇った人間じゃないですか。何にも分かってないんですね、腹立つ。「おまけに新メンバーは、それでもオリジナルのライブは続けたいだって。どんな脳みそしてるんだと思って、馬鹿言ってるんじゃない!と言ったよ。」そこで首脳陣の反応はどうだったのですか?「うん、即答で林さんが『チャックを取るよ』と言ってくれたんだ」。私は当然だと思いますが3人はどんな気持ちだったんでしょうね。「それはどーでもよくて、その時僕は、こいつらはバカだったんだと思った。仲間だと思っていたので、こうすればきっと上手くできるとか、期待を込めて日々を送ってたけどそれは無駄な事だったと思い、変な話、気が楽になったんだよ。ま、飼い犬に嚙まれたとはこういう事なんだね。」しかし本当に飛んでもない事が起きていたんですね。その後も何事も無かったように毎日の演奏に励んでいた訳ですよね。良く不機嫌なステージになりませんでしたね。「以前にも言ったろ。僕はプロなんだよ。お客さんにはそんな事でつまらない演奏を聴かせるわけには行かないでしょ。」

そんな事があってEggmanでのオリジナルライブは終了し、その分と言うか月一イベントに繋がるんですね。この出来事は1987年の春先でした。こんな事があった後のLadyBugはどうなって行くのでしょう。次回をおっ楽しみにー! By Landbeat