昔々第32回
FC会報誌「C.K.Press」(1997年~)でインタビュー掲載したものを、 月に1度連載します。
ドキュメンタリーでお届けしています。
またしてもメンバーチェンジ。しかし辞めていくメンバーにまた裏切りが。
レコードをリリースしてプロのギタリストが加入しサウンドも整って来た頃にドラムのひろしさんが腰痛を訴え、これ以上は叩けないと言って来たそうで、それは大変だと思ったチャックさんは脱退を快く受け入れたのだそうです。しかもこれからの生活を心配してここまでのレコードの売り上げを餞別として殆ど渡したのでした。一度は仙台決戦でチャックさんを追い出そうとしたメンバーなのに、どうしてそこまでするのでしょうか? 「いやね、彼が広島から上京し,グループ(REVOLVER)に加入した当初から何かと面倒を見ていて、僕の引っ越し先の近くに彼も引っ越してきたもんで仕事先(六本木)への送迎車如くかよったり」それは良いのですけど、なのに、理解困難です。
「笑っちゃうのがその後なんだよ。」えっ、何がですか? 「いや、ここまで来たら僕の履歴書の得意分野に『裏切られること』って書けそうなんだよ。」ちょっと待ってください。何が笑っちゃうんですか? 「聞いて驚くなよ。彼は一か月後には違うバンドのスケジュールを入れていたんだよ。ね、笑っちゃうでしょ?」でも腰痛でもう叩けないと言ったんですよね。「まあ多少の腰痛は否めないけど、僕が彼を理解するより、彼は僕の性格が分かっていたのかもね。上手いことやられたよ、ははは。」はははじゃないでしょ。すっかり騙されているじゃないですか。「まあそれだけ辞めたかったんだろうね。」良いんですかね。
災い転じて福となるとはこの事なんでしょうか? また素晴らしい出会いが!
という訳で、今度はドラマーを探さなければいけません。ところが何と、その時期にちょうど系列店のKento’sにドラマーのオーディションに来た若者(欣也)がいて、Kento’sのプロデューサーはむしろCavern Clubの方が向いてると判断してくれて連れて来てくれたのでした。「これはKento’sのプロデューサーのファインプレーだったね。結構ビートルズを好きで沢山の曲を知っていたんだ。オーディションの曲は”Octopus’s Garden“だった。」
それで腕前はどうだったのですか? 「彼はプロ経験もないし未熟と言えばそうだったけど、良いものを持っていると感じたよ。」そう言えば加入したその年に213曲制覇をしたんでしたよね。欣也さんは大変だったでしょう? 「そりゃあ聴くのとやるのはえらい違いだからね。でも彼の才能は勿論だけど若いってのは凄い力だね。」でも相当練習をしたんでしょうね。「彼が加入してしばらくの間は毎日6ステージを終えた後に欣也と二人で朝まで音合わせをしたな。」欣也さんも大変でしたけどチャックさんも大変でしたね。「そう言った事も礎になっていると思いたいね。だって一年も経った頃には欣也はビートルズを叩かせたら世界一番だと思っているからね。」私は覚えてますよ。演奏中はチャックさんの背中をじっと見ながらだったことを。「カッコよく言えばビート感を共有する為に必要な事かもね。でも彼に言わせれば、僕のビート感に合わせないと怒られるからってだけかもね。」
何と公認曲の全213曲をやるなんて、凄すぎませんか!?
毎年12月8日のCavern Club創立記念イベントの相談をしてた時「うっかり全曲やっちゃおうか、なんて口を滑らしちゃって。したらスタッフ達が食い付いちゃって後に引けなくなっちゃった。」それはそうとメンバーの反応はどうだったんですか? 「余計なことを決めてきやがってと思っただろうね。でもみんな頑張ったよ。」夏から始まったこの企画は12月8日に最後の”Abbey Road”に合わせるようにアルバム毎に進められました。店内には全曲の曲名を掲げ、そのボードを1曲毎に消して行ったそうです。後期の楽曲にはKento’sのキーボードプレイヤーにサポートをして貰ったけれど殆どの曲はメンバー4人で演奏しました。ここが凄いところだし我々ファンも、どうやって演奏するんだろうと楽しみにしていたところでした。
そんな忙しい時にバブルなんでしょう。大きなパーティーの仕事が舞い込んできたり、名古屋にできた『Star Club』のプロデュースで名古屋に飛んだり。そんな中、新メンバーも脱退表明。後釜に選ばれた福岡から来た新メンバー2には6か月の準備期間が設けられたにも関わらず3か月で悲鳴を上げてしまったのだそうです。
一体LadyBugはこれからどうなるんでしょうか! 次回もおっ楽しみにー!

