FC会報誌「C.K.Press」(1997年~)に掲載したものを、 月に1度連載します。(画像が不鮮明ですが何卒ご容赦下さい)
昔々第三回
ああ運命のいたずら?!
さてさて、幸雄少年も十五の春を迎えまして、少年から「やや」青年へと成長し、めでたく高等学校へと進学したのでございます。
入学したのは今はなき私立T高校。なにはともあれ男子校。一年A組、十一番。はてさてこの番号、ご存じの方はかなりのマニア。実はチャック近藤草の背番号(草野球)であります。今は昔、大洋ホエールズのシピン選手の背番号でもありました。野手でこの番号を付けていたのは今も昔もめずらしく、幸雄「やや」青年もよく記憶していたのでございます。
中学で野球はもうやめたつもり(・・・)で、野球部のない学校を選んだつもり(・・・)の幸雄「やや」青年でしたが、ああ運命のいたずらか「今年から部になりました!」と先輩に勧誘され、つい魔が差しまして、ふらふらと吸い寄せられ、自ら野球部に入部してしまうのでありました。なんとこの学校には野球同好会というものが存在していたのでございます。
高校生になり、捕手であった過去を隠してまで待望の内野手になった幸雄「やや」青年はここでも大活躍。何せ同好会上がりの部になったばかりの野球部ですから、幸雄「やや」青年のように野球を知っている部員など皆無。中学時代のスパルタがここぞとばかりに生かされ、しょうがないから先輩にも指導する幸雄「やや」青年でありました。その甲斐あってか練習試合でバリバリ勝ちまくり?かなり勘違いした部員たちは張り切って甲子園に望みましたが、結果は出せずじまいでございました。
ここで余談をひとつ。何を隠そうチャックさん実は大変エネルギー効率が良いのでございます。つまり、え?まさか?どうしてそんなに?というほど『小食』ということなのでございます。高校でバリバリ野球をやっているときでさえ、お茶碗二杯で満腹。さらにお昼抜きでも全然O.Kだったそうでございます。あんびりーばぼー。
自主的クラブ活動!?
さてさて、やめたはずの野球に精を出す一方で、将来はプロになると決めた音楽にももちろん打ち込んでおりました。「コニーズ」以来の付き合いである小西君とその高校の仲間でバンドを組んでおりました。このバンドのメンバーはご存知パン屋小梅堂せがれの小西譲治君、新聞やのせがれ福島啓介君、呉服屋のせがれ高山充君。そして後にサブメンバーとなる、オルガンの小倉君、命名『オグラン』。ちなみに彼、オグランは電気屋のせがれでありました。
練習場所は北区滝野川の朝日新聞の配達所の二階でございました。そこに週二、三回通ってはビートルズにモンキーズなどのマージービート系のカバーにいそしんでおりました。このバンドの心意気はGS全盛期にあってもやはり、「ふんどしよりブリーフ」おっと失礼!「和モノより洋モノ」でございました。しかし幸雄「やや」青年にはGSから度々お声が掛かっていたのでございます。
さてこの特技を学校では披露しなかったかというと、当然そんな事はないのでございます。高一の時にたった一度しかなかった文化祭ではしっかりと「シャドウズ」のカバーを披露。嫌々ながらも「いつまでもいつまでも」を歌ったのでございます。このバンドは無論「ふんどしよりブリーフ」のバンドとは別物で、他のメンバーは全員三年生でありました。
さらっとビートルズ来日
そんな高校生活の最中、大事件が起こりました。ビートルズ来日です。もちろん幸雄「やや」青年も武道館に駆けつけたのでございます。その時「早退させてください。」と断りに行った幸雄「やや」青年に担任の磯貝先生は「ビートルズね。」とおっしゃり、おまけに「いってらっしゃい」という感じで見送ってくださったのでございました。あぁ美しき師弟愛(笑)
そのビートルズ日本公演に触発されて幸雄「やや」青年は目覚めたのでございます。「オリジナルをやらなければ」と。そして初の英語のオリジナル曲を制作したのでございます。タイトルは“So I Won’t”。それに刺激されて小西君は英語の詩を書くようになり、ここに『チャック&ジョージ』のコンビが誕生したのでございます。
サイクリング、サイクリング、やっほ~やっほ~?!
それからそれから、音楽と野球だけやっていたのかというとそうでもなく、夏休みには高校生らしい事もやっておりました。それは『サイクリング』。といっても生やさしいもんじゃあございません。東京を出発し、日光-水戸-大洗と進み、房総半島の外側(太平洋側)をぐるりと回り、突端まで行ったところで今度は内側(東京湾側)から東京に帰ってくるというハードなものでございました。全行程約一週間。その間の宿は全てユースホステル。水戸あたりで一度挫折しそうになりましたが、幸雄「やや」青年は「半分くらいまで来てるんだから帰るもの進むのも一緒じゃん。」と仲間を励まし、この旅は無事成し遂げられたのでございます。そしてこの旅で知り合った年上の女子三人組は高校の文化祭を観に来てくれるというおまけもついたのでございます。
そんな幸雄「やや」青年でありましたが、実はたいそう学校が嫌いでございました。この話は次回以降のポイントになってまいりますが、今回は丁度時間となりました。では、次回をおたのしみにぃ。