【連載13】チャック近藤の昔々

FC会報誌「C.K.Press」(1997年~)に掲載したものを、 月に1度連載します。(画像が不鮮明ですが何卒ご容赦下さい)

昔々第13回 

箱根で着々と力を付けて行くALBATROSSの仲間たち。頑張ってサウンドを作り上げることができるのか?そしてレコードを作ることができるのだろうか!

楽しいばかりじゃダメなのよー、ダメなのねー!

とても仲の良いALBATROSSはいつでも一緒だったようで、4人とも東京育ち東京生まれとあっちゃぁ時々都会の空気も吸いたいやね。そんなときゃぁ山を下りて小田原へ行くそうで、デパート(?)の「ニチイ」や「丸井」、はたまた商店街などを徘徊し、甘味どころでみんなで「クリームあんみつ」などを食べたり、ボーリングをやったりジーンズ屋さんで買い物をしたり、そんでもって出かけないときには麻雀をやったり、若い女性従業員たちと仲良くしたくてもできなくて、せいぜいパントリーに邪魔しに行って「金時饅頭」をごちそうになるくらいで…ま、みんな悶々としていたわけですな。
いつでも一緒と言っても、そりゃぁ一人の時間もありますがね。チャックさんと言えばお店に行ってピアノに座り、練習でもなく曲の構想を練っていたのであります。時には他のメンバーが邪魔しに来て、それぞれが自分のパート以外の…つまりチャックさんがギター弾いてノボルさんがドラムで、と言った具合にです。ま、ありがちなパターンですな。でもいいんですかい?そんな呑気な事やっていて。志があって箱根くんだりまできたんじゃぁないですかい?仲がいいというのも時に障害になるものなんですよね。厳しい時には厳しく。楽しい時には思い切り楽しく。公私混同することなくきちんと音楽をやらねばとても一流にはなれませんぞー!しっかりしたまえ。

リーダーはつらいね。一気呑みに外国人観察。ん?!

何はともあれ、信頼の置ける仲間ALBATROSSの連中は、すっかり顔見知りになったホテルの従業員とも年頃が近いし、仕事を通り過ぎて友達になってはいたものの、しっかりしたもので「仕事は仕事。遊びは遊び。」がハッキリとしていたそうであります。ホラ、ALBATROSSとは違うぞよ。なかなか感心感心。
リーダーであるチャックさんは何事にも代表として参加し、春になれば新入社員歓迎会などバンド全員が参加したものの、お酒が飲める者が他の一人もいないため代表で何回と無く「一気呑み」をやらされたそうであります。ひどい時にはまずガラスコップに焼酎、日本酒、どぶろくのブレンドを飲まされた後にサラダボールにビールを入れ、それを一気に飲む。そろそろ無くなると思ったところで飲んでいる途中でビールを継ぎ足されちまうといったメチャクチャなことをやらされていたのであります。よく生きていたもんですね。
そんな中、毎日のミーティングにも出ていたそうな。内容は「本日の団体はオーストラリア、ドイツ、スペイン…」といったことで、どういった国のお客さんが多いのかつかみに、チャックさんはこのミーティングに出るそうで、その日の演奏する曲などの参考にしたそうです。
さて、毎日のように入れ替わる海外からの旅行客を見ていると、それぞれのお国の特徴が見えてくるそうです。チャックさんに国柄の印象を聞いてみると?「よく来たオーストラリア人は気候風土が逆とは言え日本ともよく似た四季を持ち、しかも大きさは違っても、やはり島国根性というものを持っていて、元はイギリスの支配下だったと言ってもイギリスやアメリカからは田舎者扱いにされる。そんなジレンマのある人が多いような気がした」だそうで、「でも非常に付き合いやすい人種だ」と言っています。「ドイツ人やスイス人は英語が上手い」らしく、「チョット紳士気取りの男性が多い」そうで、スペインの女性はというと、月並みではありますがやはり「情熱的な感じがした」そうです。気が合って良く話したのはオーストラリア人とアメリカ人だったそうであります。おっと肝心な話からそれてしまいました。ご勘弁を。

敢え無く、警察にご用!

肝心なのは音楽であります。もちろんあ~でもない、こ~でもないとオリジナルの制作に力を注いでるつもりが結局のところ作った人の意向を忠実にといったやり方になっていたのではとチャックさんは振り返っているのであります。もっともチャックさんは自分以外の作品に黙っているわけはありません。それこそあ~でもない、こ~でもないといじくり回し、構成やコーラス・アレンジをほとんどの曲に口を出していたのであります。チャックさんの気持ちの中ではこの頃から「24時間音楽人間」を心がけているのでもっともですよね。
今回の契約は4,5,6月の3ヶ月間で終了です。なぜかほとんど箱根でしか行動をともにしないALBATROSS。なんでだ?東京に帰ると4人が集まることはほとんどないという状態だったそうな。東京でもしっかり行動していたら面白いバンドになったと思うのですがどうでしょう?
7月から体が空いてしまったチャックさんは「ヒューズ・コーポレーション」というソウル・コーラス・グループの来日に伴い、ツアーのスタッフ・アルバイトをすることになったのです。覚えているだろうか?数年前に一緒にバンドをやった潮瀬さんの勤め先でのアルバイトだったのであります。
そこでアルバイトの手始めにやったことは、違法である「ステカン」の設置であります。「ステカン」とは電柱などにくくりつけてある広告看板のことで、違法の為回収することなく「捨て看板」なのでこう呼んでいるものであります。毎日夜中に出かけていって学生アルバイトと渋谷界隈の電柱にくくり付けていく仕事だったのですが、調子に乗ってこれまた楽しくやっていたところ、「ピーッピーピピピピ」と笛の音。アッチャーッ、パトカーだ。それで敢え無くご用。学生はパトカーに乗せられ、チャックさんは「ついてきなさい」と警官に言われ車で渋谷警察署へ。あ~なんたることか。よりによって警察にご用とは。一体何やってるんだよ。こんなことでご用になって。音楽はどうなっているんですか?ホントにもう。でもチャックさんは「警察はともかく、このアルバイトで良い出会いがあったんだ。」そうであります。

初裏方、初飛行機、全身鳥肌、そして信頼

そもそも「ヒューズ・コーポレーション」というグループは‘70年頃に「愛の航海」という曲でヒットを飛ばし有名になったグループで、女性1人、男性2人の混合コーラスでして、もうこの’75年頃にはあまりヒット曲もなかったのではありますが、少々ギャラが安くなったのをつけ込んで呼んだというわけであります。
当時は国際線もまだ羽田でして、初日は翌日で「札幌厚生年金ホール」ということもあって、彼らが羽田に到着してすぐさま国際線に乗り換え千歳へと向かったのだそうであります。そしてそこからチャックさんは同行したそうであります。チャックさん自身初めての裏方であり初飛行機だったそうですが、ま、ジャンボだったということで気流も悪くなく快適に初体験をしたそうでありました。
コンサート当日メイン・グループはラジオ出演、バック・バンドはそのラジオ局のスタジオでリハーサル。そしていよいよコンサートの始まりです。彼らのお国はアメリカとあって物騒なのか、それぞれのバッグをコンサート本番ぎりぎりまで肌身離さないそうでして、そのバッグの預かり係にチャックさんが任命されたのだそうです。まあこれはさい先が良いのでしょう。つまり彼らから信用されたわけですからね。
コンサートは札幌を皮切りに現在「空港使用問題」で揺れている横田基地など数ヶ所で行ったそうでありますが、驚くことになかなか盛り上がらないと言われている札幌のお客さんが総立ちになったり、横田基地でも彼らがゴスペル風に歌った“Let It Be”は素晴らしく、チャックさんはもちろん全身鳥肌、観客は総立ち、涙を流す人もいたそうであります。なかなかこういったところに居合わせることは少ないのに、幸せなことだとチャックさんは思ったそうであります。しかもアルバイトなので給料も出るんですからね。こりゃぁ幸せだ。
でも何と言っても嬉しかったのが彼らから信頼されたことだったそうであります。前途のバッグの話も彼らは絶対にチャックさんにしか預けず、プロモーションの社長が手を出してもチャックさんを捜し手渡したそうであります。バック・バンドの連中からも’Hey,Bagman’と呼ばれてからかわれていたそうですが、同じミュージシャン同士で楽器のセッティングも上手くこなし、音楽の話も弾むチャックさんとは心置きない仲間になったそうであります。
10日ほどのツアーでありましたが実に素晴らしい出会いが出来たようであります。しかし残念ながらツアーが終わり、ヒュー・アン・ルイス、カール・ラッセル、セント・クレアー・リーの3人、そして特に仲の良かったベーシストで陽気なエリック初めバッグの面々とお別れです。もう二度と会えないかもしれないなんて寂しいですね。
おっと、感傷に浸っている場合ではありませんぞよ。ツアーが終わり、同時にアルバイトも終了。直後からまたしても箱根の唯一の「つて」に連絡したそうであります。それがあ~た、無理矢理に仕事をもぎ取ったのでありまして、しかも12月から翌年の5月いっぱいまでとはやったじゃないですか。なんと半年の契約でALBATROSSを召集。さあ、今度はどんなALBATROSSになって行くのでしょうか。続きは次回のおっ楽しみー!