チャック近藤の昔々 連載

連載その1

このコーナーはチャック近藤がこの世に生を受け、多感な少年時代、音楽との出会い、さらにはビートルズとの出会いなどなど、チャック近藤の礎をつくった過去にスポットライトをあて、本人に直接インタビューし、取材した内容を講談調でお届けします。(講談というのが江戸っ子らしくていいでしょ?)

第一回目は、チャック近藤こと近藤幸雄氏がこの世に生まれ落ちてからビートルズに出会うまでの幼少の頃のお話です。では、はじまりはじまりぃ。

誕生

時は一九五〇年、所は東京文京区。近藤家に7人目の子供が誕生いたしました。
命名、幸雄。

さて、近藤家は知る人ぞ知る大家族。末っ子の幸雄君はお父様、お母様、三人のお兄さま、そして三人のお姉さまに囲まれてすくすくと育ちました。
お父様のご職業は仕立屋さん。当時からテーラー近藤と名乗って居られまして、一九五〇年代に毎日新聞のデザイン賞を受賞されたほどの凄腕の職人でありました。
本業もさることながら、このお父様、人生これ趣味にあり、とばかりのお方でございまして、釣りにカルタにハーモニカ、どれもプロ顔負けの腕前。その上、大のクラシック好き。とくれば、当時としてはどれほどハイカラだったか想像に難くはございませんでしょう。
お父様のお血筋もしっかりと受け継がれている近藤幸雄氏ではありますが、ご兄弟の影響も、かなり受けられている御様子。それは何かと尋ねたら、野球にギターに写真にと幸雄君は様々なことを教わったのでありました。
そうそうそういえば、幸雄君にはとても器用なお姉さまがいて、小学校低学年の学芸会の衣装をあつらえて下さったこともありました。

少年時代 野球そして・・・

何を隠そう幸雄君、ことの始まりは何事も九歳から。ギターも野球も写真もテレビも。その上叔父さんになったのも。
さてさて、野球少年であった幸雄君。本人の希望は内野手でありましたが、利発さを買われて捕手に。さらに、中学一年生の終わりには正捕手に抜擢されるほどの選手へと成長していったのでございます。
この野球部のコーチは体だけでなく、頭のトレーニングも怠らなかったというユニークな練習をさせるお方でありました。雨が降ると野球についてのペーパーテストがあったと言うから驚きです。

その後、高校三年の時には大学からスカウトの話が来るほどの選手になっていたのでありました。

一方、ギターの方はと言えば、小学校卒業の頃までは「禁じられた遊び」一本鎗。しかし、中学校に進みますってえと、音楽の授業で楽譜の読み方を覚えるが早いか、あっという間にオリジナル創作への道を歩み始めてしまうのでありました。

この早熟な少年は、同級生の文学少女の書いた詩に曲をつけたりもしていたのであります。(余談ですが、聞いてみたいでしょ。加山雄三風の「君と浜辺で」とかクラシックギターのインストルメンタルとか。今でも弾けるらしいですよ、皆さん)

そして、幸雄君はビートルズとの劇的な出会いをする事になるのでございます。

つづく