【連載8】チャック近藤の昔々

FC会報誌「C.K.Press」(1997年~)に掲載したものを、 月に1度連載します。(画像が不鮮明ですが何卒ご容赦下さい)

昔々第8

ここからがベーシストの本領発揮か?

猛練習の日々

すっかり大人?になり、幸雄青年はいろんな事に挑むようになりました。とは言え、音楽的な影響は洋楽のみにとどまり、あとは仲間の刺激を受けることが多かったのでございます。小西君はもっぱら作詞に専念し、幸雄青年の生み出す楽曲を楽しみにしているばかりでありましたが、天才ギタリスト鈴木登君はもう有りとあらゆるジャンルから「こんなの良いね、今度こういうのやろうよ」と、まぁあっちから、こっちから責め立てるように情報を持ってくるのでありました。お陰で幸雄青年は、ベースを弾きながら歌うのは到底無理だという曲まで演奏が出来るように、いや必要に駆られてやらざるを得ないのでありました。

怯むな幸雄!!

さて、前号お話した米軍キャンプでありますが、グループ名も無いままに(後に、3人とも髭を生やしていたので米兵からグループに“MUSTACHE”口髭と命名された)今は自衛隊に返還された埼玉は「朝霞Camp Drake」に乗り込んだのであります。体育館のような広いホールの舞台にデビューしたのは幸雄青年23歳でありました。「うわー全部アメリカ人だ」それはそうでしょう米軍キャンプなんだから。米軍兵やその家族たち、遠巻きに「あの3人の猿たちはどんな演奏をするのかな?」という感じであったそうであります。「ここで怯んではいられねぇ。こちとら洋楽が気に入り、だからオリジナルも英語がマッチすると考え作ってきたんじゃぁねぇか。てぇい!当たって砕けろだ!」と思ったのは幸雄青年だけだったでしょうか。

さて、いよいよ演奏を始める時間ってぇ時に、「演奏の最初と最後はテーマを入れろ」とか「幕は自分たちで閉めろ」なんてぇことをぬかすのでござんす。「だってオレたち3人しかいないんだよ」と言っても決まりは決まり。じゃあその幕誰が?というときに決まってそういう仕事を任されるのが幸雄青年だったのでございます。テーマは「イメージ1」という4ビートのオリジナルで行こうと言うことになり、左手1本でベースを弾き、右手で幕の上げ下げをしたのでございます。

ステージは2回、3回と進むにつれバンドの音に耳慣れたのか踊る人がちらほら。「よーしいいぞ。勝負はこれからだ」。そんな事を思いながら演奏は佳境に。するとなんとも好ましい反応があったのでございます。お客のノリが演奏の良し悪しでハッキリ見えるのだそうであります。「うーむ、ノッてくれれば嬉しいが、その反面怖いところだ」と幸雄青年はポツリ。でも「これはフェアだ」とも感じたそうであります。

日本の中のアメリカへ…

そんな折り、このバンドをすこぶる気に入ったという人たちが話しかけてきたそうでありまして、小西君や鈴木登君は上手に対応をしていたのですが、幸雄青年の英語は発音こそ良かれ、話す力は持っていなかったのであります。ところが、気に入ってくれたお客の中から「是非我が家へ招待したい」と言ってくれたアレキサンダーさんという人がいたのであります。どーする幸雄青年。コミュニケーションは英語だぞよ。

数日後、いよいよ招待の日であります。そこは、今はもちろん「朝霞Camp Drake」同様無くなってしまった米軍の官舎「桃手ビレッジ」というところで、広々とした土地にゆったりとした2棟建ての家々が並ぶところでありました。その日は庭でバーベキュー。隣人も加わり、そこはもうアメリカ。車を走らせてアメリカまで来てしまった様だったそうで、何とものどかな風景だったそうであります。その後も何回かご招待を受けたそうでありますが、いやいや、そんな呑気なことを言ってる場合ではありませんぞ。コミュニケーションはどーするの?」

ALBATROSS”誕生

「朝霞キャンプ」の返還とともにアレキサンダー一家も福生は「横田基地」へと引っ越すのでありました。アレキサンダーさんの推薦もあり、バンドも「横田基地」へ引っ越し?すっかりアレキサンダー一家とも親しくなったのであります。彼らとの会話も最初は小西君や鈴木登君に「何言ってるの?どー言ったらいいの?こう言ってみて」と他力に頼っていた幸雄青年も徐々に会話に入っていくようになったのでございます。

この頃、最初に「朝霞Camp Drake」を世話してくれたプロモーターが旅の仕事を持ちかけて来ました。2ヶ月半という長きに渡り、箱根の外国人観光客ばかりが泊まるホテルのサロンでの仕事でありました。ほとんど初めてのまとまった仕事なのです。これを受けない手はありません。そこで「グループ名、考えておいてね」とプロモーターに言われ、考えたあげくレコードの中から見つけた曲名で“ALBATROSS”を見つけ、ここに幸雄青年が最高だったというバンドの第一次が始まったのでした。水温む3月の中旬、“ALBATROSS”は箱根へ向かったのであります。

さあ、いよいよ本格的にお金を稼げるようなプロ・バンドの第一歩。これからどのような音楽活動になるのやら。また次回のお楽しみー!