【連載7】チャック近藤の昔々

FC会報誌「C.K.Press」(1997年~)に掲載したものを、 月に1度連載します。(画像が不鮮明ですが何卒ご容赦下さい)


昔々第7

意気揚々のデビューの筈が

いやいやいや、とうとう20歳になった幸雄青年。特別な感覚はなく、むしろ18歳になった時の方が大人を感じたそうであります。理由はパチンコ屋に堂々と入れる年齢になったからだそうで、何とも単純なことでありますな。ちなみに幸雄青年は「パチンコは才能無い」からやらないそうで。

さて、CBSソニーでテスト・レコーディングを行った「54(フィフティフォー)」、前途は明るく感じたことでありましょう。因みに曲は小西君と幸雄青年の作品でハード・ロック・テイストの“Beautiful Woman”でした。それからはしばしばCBSソニーのスタジオに通いリハーサルを重ねていたのであります。

翌年にレコーディング、リリースも決まり意気揚々であったそうで「ついにデビューか」と思いきや、その年同じレーベルのアンディー・ウィリアムスの来日が決まったのです。ん?だから何だって言うのよ。それが聞いてくださいアータ。とんでもないところに影響があったのでござんすよ。それがね、同じレーベルでしょ?だから同じ会社の予算内でやることなのよね。わかった?わかんないでござんすよね。つまり「54」のレコーディングが立ち消えになったのではなく、1年延ばしになっただけのこと、「なにも慌てるこたぁないんじゃないですか」というのが幸雄青年の意見でしたそうで。

そうですよ、まだ若いんだからじっくりと行きましょう。え?ダメなの?なんでぇ?

とんだ言葉が解散に

なんでぇ?ですよねぇ。そんなこんなで「54」は語り合いをしたそうなんでありまして、その意見は様々。まず天才ギタリストの鈴木登君は「まだオレ達は力不足。レコーディングはもう少し力を付けてからやるべきだ」と、さすがに完璧主義の方のご意見。幸雄青年も「そりゃあそうだ」と思いつつも宮川君が努力してくれ、ようやく掴んだチャンス。無駄には出来ないと「いや、オレは1年延びてもチャンスを生かすべきだ。それまでに力を付ければいいじゃないか。やろうよ」と説得したそうでありました。どちらも音楽を愛し、また自分たちをしっかり見つめたご意見、なかなか真剣に語り合ったようでございます。ん?そう言えばもう一人のメンバー、ドラムスの藤田秀君の意見を聞いてなかった。そこで幸雄青年は「秀(しゅう)、おまえはどう思う?」と意見を求めたのでありました。そりゃ当然ですよね。でもそれが間違いの始まりだったそうであります。なんと!藤田君の答えは「どっちでもいいよ」だったそうで、幸雄青年、今でいう「キレた」ってぇヤツだったそうであります。「真剣にこれからどうするか語り合っているのに『どっちでもいいよ』とは何事だ!」というのが幸雄青年の心中だったのであります。あーまずい。この頃の、いや今もかもしれませんが血気盛んな性格の持ち主。その答えに黙ってはいられなかったのです。ダメ、ダメ、言っちゃダメ。おさえておさえて。「なに言ってんだよ。ふざけんな!」あー、言っちゃった。「そんな考えじゃもうヤメだ!」。なにもそこまで…。

それで言わずと知れた解散。もったいない。それからというものはCBSソニーとも立ち消えになってしまったそうでございます。あーあ。

マリファナなんかいらないよー

だからといって幸雄青年は音楽をやめたわけではありません。このことがきっかけではありませんが弁当屋も辞め、江古田で鈴木君と弾き語りをしながらイージーオーダー婦人服の仕事をし、兄の会社を手伝いマクドナルドのお肉の配達を経て、住み込みで製麺業の配達に転職?したのであります。

一度は別れた鈴木君や藤田君とも付き合いがあったため、頼まれ仕事で一緒に千葉まで演奏の仕事で一ヶ月通い始めたのでございます。ギャラは一ヶ月8万円。この頃ではボチボチの仕事でありましたようで(但し、ギャラは持ち逃げされ、ようやく取り返したのは半額だったそうで。気の毒に)、この頃勢力を拡大し始めたフィリピン・バンドとの対バン(交代制の相手バンド)だったのでありました。「いやー懐かしいな」だそうで、ボーカルは潮瀬さんという雰囲気のある小粋な方だったそうであります。

そのフィリピン・バンドの宿舎へ招かれたこともあり、質の悪いマリファナもごちそうになったとか。元々幸雄青年は他力本願てぇのは好きでなく、こういったもので悦に浸ったり頼るなんてぇことはまっぴらゴメンなタイプ。この時以来そのたぐいにはお目にはかかってないそうであります。

そんな中、新たな仕事が参ります。当時は「凄いなぁ」と思っていた米軍キャンプの話があったのです。幸雄青年の考えは「米軍キャンプだったら英語のオリジナルも出来るな」だったそうで、しばらく一緒に活動をしないまでも曲を作り続けていたドラムスの小西君と、あの天才ギタリスト鈴木登君とトリオで米軍キャンプへと挑んだのでありました。このとき幸雄青年は22歳。

さてさて、恐れと期待の米軍キャンプへ乗り込んで、これからの幸雄青年の運命やいかに。次号をお楽しみに~!