FC会報誌「C.K.Press」(1997年~)にインタビュー掲載したものを、 月に1度連載します。
昔々第22回
さて、ジョン・レノンが亡くなってしまったことを冷静に受け止めていたギタリスト・チャックはどのような心境で毎日を過ごしていたのでありましょうか!?
異例の長期契約でギターの腕前もグーンと上達?
毎日、毎日上野は「ジョークマン」(おっと失礼。前回にお店の名前は紹介していませんでしたね)というミニクラブへ通い、ギターの腕を上げていったチャックさん。それがこういった類のお店との契約と言うものは1ヶ月単位で、しかも長く続いても3ヶ月がいいところなんですが何と一向に契約が切られる傾向に無く、せっせと通ったそうであります。
さてこの2代目LadyBugのレパートリーはオールディーズから’70年代まで幅広い音楽を演奏していたそうであります。しかしお客さんは聴いているでもなく、お目当てのコンパニオンと称する若いお姉ちゃんとイチャイチャとお酒を飲み、一緒に踊ってもらってご馳走して酔っ払った挙句に1時間ごとに花瓶のバラの色を変えられ、居れば居るほど料金がかさむといったシステムに甘んじているフトドキ者ばかりの店だったのです。
また、そのコンパニオンの喉に自信のあるお嬢様方がお歌いになるためにバックの演奏をして差し上げるのもLadyBugのお仕事だったそうであります。いやいや、後のLadyBugの姿を考えるととてもとても考えられない状況だったのですな。だってそーでしょあーた、私なんざステージは神聖な場所であり、ましてやLadyBugをバックにチャラチャラした歌を歌うなんてぇのは考えられないですのよ、ハイ。でもそこはチャックさん。お客が聴いていないのを良いことに(?)好きな曲ばかりを選曲し、またバック演奏は、極めつけのコピーでコンパニオンのお嬢様方をたいそうお喜ばせになられたそうでございます。ま、そのお嬢様方がお客をそっちのけでLadyBugの演奏に聴き入ってたのでしょうね。「そうなのよ。んでね、これあげるから歌ってねってコンパニオンがレコードを持ってきたりしちゃってね。」よーござんしたね。でもそのお陰でホントにギターの腕が上がったそうで、厨房に入っていたりホールでアルバイトをしていたミュージシャン志望の若者たちはみんなチャックさんをギタリストだと思っていたそうなんですよ。上手いもんね。「あ、どーも」。
新ユニット結成計画
ここ「ジョークマン」での仕事も順調に6ヶ月ほど過ぎたころ、新しくバンドを組み直そうという状況になったそうであります。でも順調だったのにどうしてなんでしょうかね。「そりゃぁいつまでも同じお店に出ていられないし、世の中はディスコ・ブームだったんだよね。まだまだ夢もあったし潰しの利くバンドを作りたかったんだよ」。そこでたまたま同じ上野は「ガリバー」というお店に出ていた源ちゃん(鍵山源四郎)と一緒にやろうということになり、練習を始める事になったそうであります。選曲は踊れる曲ばかりで外せなかったのが「愛のコリーダ」だって。懐かしいですか?
練習する場は、何と当時「初台」に住んでいた源ちゃんの住まいだったそうであります。チャックさん曰く「そこは秘密の要塞みたいなところでね。なんだか訳のわからない通路をジグザグに奥の奥へ進んで行き着いたところだったなぁ。結構広かった印象だけれども窓はあったかなぁ?」というような所だそうです。全然想像がつきません。ま、そんな所でお互いの休みの日に合わせ練習に励んだそうであります。因みにメンバーは他に当時のドラマー大西洋さんも参加していたそうです。
ディスコと一言で言ってもチャックさん自身、ベースでディスコ・ミュージックを演奏するのは初めてで、当時はチョッパーなる指で弦を引っ掛ける奏法が流行っていたそうなのです。チャックさんはスタジオ・ミュージシャンをしていたので少々は経験をしたそうですがピックを持って演奏するチャックさんにはあまり得意ではなかったようです。因みにスタジオ・ミュージシャンとして数多く録音したのですが有名になってしまったのが「加ト茶」と「志村けん」出演のふりかけのCM「さけっこ」で流れている「ひげダンス」の演奏です。時々ステージで弾いてくれていますよ。「でも他にもたくさん演奏しているのにな」ってたってねぇ。因みにですがNHKの「みんなのうた」も数多くベースを弾いているそうですよ。この頃2曲目のCMソング(東北・うすいデパート)を録音。スタジオに入り午前中の演奏の録音中に楽譜を見ながら歌を覚えて午後には歌の録音だそうで、これも大変なお仕事ですね。
無駄になっちゃったの? この練習。
夏に入りチョットしたプロジェクトがあり、結構これには詳しいと評判だったチャックさんに白羽の矢が向けられ出演以来が舞い込んだのでした。もうお分かりですね。六本木CAVERN CLUBが出来ようとしていたのです。
ちょうどその頃「ジョークマン」の店長から11月いっぱいでバンドを交代させると言う話が来たのでした。そっか、こういう話はいきなりですのね。「それでも11月いっぱいと言うことは13ヶ月間の仕事なんだよ。こりゃぁ異例だったね」。とチャックさん。それだけ気に入られていたんですね。でも何とタイミングが良い事でしょう。ツイテましたね。おっと、こうしちゃぁいらんねぇ。新しいバンドの練習に励まなきゃ新たな仕事も得る事が出来ないですからね。「いや? ビートルズだ。しかも六本木。当時、六本木での出演はバンドにとって一流の証し。6回ステージで毎日。ビートルズは曲が短いから1回に10曲はいるだろう。少し余裕を見てトータル70曲は必要だ。だが一体このメンバーでビートルズが出来るのか?」そう思ったチャックさんは即選曲を始めリハーサルに取り掛かることにしたのでした。「猶予は3ヶ月しかない。もう一人のメンバーに元Bad Boysのリンゴこと城間正博が参加してくれるとはいえ殆どビートルズを知らないメンバーが二人」。曲を知らないのは仕方の無いことでしょう? だってディスコにしても知らない曲を新たにコピーしてレパートリーにするんでしょ? だがしかしチャックさんはこう言いました。「曲を知らないことは仕方が無い。無論僕だって好きで詳しいとは言え演奏したことの無い曲の方が多い。ただ一番の心配はビートルズの偉大さ、凄さを知らないと言うことなんだ」。どういうことなんでしょう? でもディスコの曲、練習したのに無駄になっちゃうね。でも、みーんな吸収してしまうチャックさんだからね。
いよいよ前途多難なビートルズ専門家への道が始まります。次回からは大変さが伝わるのでしょうか?! それとも楽しさが伝わってくるのでしょうか?! おっ楽しみにー! By Landbeat