【連載20】チャック近藤の昔々

FC会報誌「C.K.Press」(1997年~)にインタビュー掲載したものを、 月に1度連載します。(画像が不鮮明ですが何卒ご容赦下さい)

昔々第20回

大阪での3ヶ月の経験を生かし?! “REVOLVER”はオリジナル思考に進みます。それは良いのですが、すったもんだの毎日だったようで…どうなるチャックさん!?

東京に帰ったらいきなりのトラブル!

好評を博した3ヶ月の「大阪」を去り、9月に東京は「渋谷」の某ディスコに仕事が決まったそうで、久々の東京に懐かしさと不安が入り混じった日々だったようであります。そんな不安が的中してしまったのか、何と出演したと思ったら直ぐにクビになってしまったそうであります。理由は「音量と東京で流行っている曲が出来ない。」と言う事だそうでそのディスコでは“REVOLEVER”がお気に召さなかったようであります。お陰でそれからと言うものは、しばらくの間「ハコ」(月単位の契約)ではなく、「ヒロイ」(毎日のように職場が変わる)の仕事と相成ってしまったのでありました。

そんな中、初めてと言ってもいい、大きなトラブルがあったのでありました。それはチャックさんも「些細なこと。若気の至りだな。」とは言うものの、毎日ピリピリとした環境で演奏していたからでしょう。チャックさんは演奏を放棄して帰ってしまったことがあったそうで、チャックさん曰く「初めてバンドっていやだ。」と感じたのだそうであります。こりゃぁ一大事ですね。一体何があったのかと訊ねて見た所、その日は色々有ったようですが「六本木」の仕事で、何でもフィリピン・バンドと交代交代での演奏だったそうであります。先ず最初のトラブルは機材の説明を求められたチャックさんは懇切丁寧に説明したところ、突然リッキーさんが赤い顔をして怒り出し、とてつもないことを言い出したことに、チャックさん初め他のメンバーもホトホト困り果てていたのだそうであります。でもそれは休憩時間のことであり、周りのみんなが大人になって静かにしていたのでした。

さて、次なるトラブルは演奏中であります。この店の演奏時間は、普段でも長い1時間30分間くらいで、1時間過ぎて時計見てもまだ30分もあるといった状況の中で、リッキーさんは2時間経っても演奏を止めなかったのだそうです。何でももう一つのフィリピン・バンドが遅れているためだそうで、でもメンバーは何も聞かされずに演奏を続けていたのでした。「そう言えばリッキーが店長らしき人物と話していたような…」とはチャックさん。でも「それにしても長すぎる」とも言っておられました。そこで演奏中にチャックさんはリッキーさんに「一体いつまでやってるんだよ?」と訊いた所、またしてもリッキーさんは赤い顔をして怒り「やる気無いのなら帰って良いで」と来たもんだ。そこでチャックさん「わかった。じゃ帰るわ。」って、良いんですか? 帰っちゃって。「だってリーダーが帰っていいと言ったんだもの」。だって仕事中でしょ? 「オレは帰ったよ」。…。

いよいよオリジナルの活動! なんだけど…

「いやー後にも先にもあの時だけだなぁ仕事中に帰っちまったのは。」とは言うものの、これは大騒動になってしまったのです。帰ってしまったチャックさんをプロダクションの社長が迎えにきて説得したそうであります。すったもんだの末渋々また「六本木」へ。「在籍2年の間、帰りはしないまでもこんなのは日常茶飯事だったね。」だそうであります。

さて、いよいよオリジナル活動です。「新宿・ロフト」を皮切りに「渋谷・屋根裏」など、あっちこっちのライブ・ハウスに出演したそうであります。助っ人にとても器用な元Bad Boysのドラマー、リンゴこと城間正博さんに来て貰い、キーボードやギターで参加してもらったそうであります。有り難い事だと言っておりました。どっちが?

そんな中、チャックさんが8トラックの録音機を所有していることに目をつけ、オリジナル・カセットを販売しようと言うことになったのであります。チャックさんは録音機、ミキサーなどを出演している当時、1,000人ディスコと言われた大きなお店「ビッグ・トゥゲザー」に運び込み、連日録音に励んだそうであります。それに加え、ジャケット写真をチャックさんの住んでいるマンションの駐車場で撮り、録音テープの編集をチャックさんの家で行い、また、“REVOLVER”のロゴを考案、デザインをしたそうであります。何? 全部チャックさんがやってるんじゃない。まぁまぁ…。

でもカセットのジャケットと同時にステッカーの印刷があがって来て、こりゃ驚き。え、何これ? “REVOLVER”だったはずが“RICKY & REVOLVER”になっているじゃないですか! ね、またトラブルでしょ。ここでチャックさんは考えた。「一緒にオリジナルをやろう。だからお前も頑張って曲を書けと言われたのだが、じゃ何故いきなり“RICKY &…”になっちゃうわけ? オレは不器用だ。一緒にやるならやるし、オレをバックと思っているのならそれなりのやり方しか出来ん」と思ったそうであります。大変だ!

訳のわからないことばかりの2年間

チャックさんに言わせると、こんな話をしていると絶え間なく、あれもあったこれもあったってキリがなく出てくるそうで、中でもリッキーさんは数少ない「チャックさんのベースが嫌い」な一人だそうで、時々弾かせてもらったステージではいつも「良くない」と言われていたのだそうです。でもカセットを作る時の録音は殆どチャックさんが弾いていたり、「どんどん曲を書け」と言っておきながら、たくさん書くと嫌な顔をしてカセットでも2曲だけ。いろいろ後日談もあるそうですが「やめとく」そうです。でも話聞いていると面白いですね。「何言ってんだよ。オレの身にもなれ!」。すみません。

そんな事もあんな事もチャックさんはいい経験だったと言っているし、逆にリッキーさんを可愛い人だと思えるようになったのだそうです。でもやはりあれやこれや多かったそうで結局は“REVOLVER”、いや“RICKY & REVOLVER”を辞める事になってしまうのでした。理由を尋ねても「今まで話した通りの事。結局、訳がわからないし、初めてバンドという形態に嫌気がさしてしまったんだよね。ホントにがっかりしちゃってさ。しばらくグループという形から避けていたものね。」

今でもグループ思考の強いチャックさんがこんなになってしまったのは、本当にショックだったんでしょうね。いよいよ‘70年代も終わりを告げるころ。次号は明るい話題でありますように。祈り。期待しましょう。おっ楽しみにー!