【連載19】チャック近藤の昔々

FC会報誌「C.K.Press」(1997年~)に掲載したものを、 月に1度連載します。(画像が不鮮明ですが何卒ご容赦下さい)

昔々第19回 

 いよいよ「新天地」“REVOLVER”キーボード・プレイヤーとしてスタートしたチャックさん。どんな仕事にありつけたのかな? 先ずは御手並み拝見と行きましょう。

最初のハコは「船橋」原チャリで通勤

当初は旧メンバーとの引継ぎなど、バンドの見学から始まり、メンバーとして参加したのは1ヶ月後だったそうな。それが数ヵ月後にはリッキーさん以外全部メンバーが換わってしまったのでした。チャックさんも「このバンド一体どうなるんだ」と思ったそうであります。その中に広島から出てきたばかりで後のLadyBugのドラムになる大西洋さんがチャックさんの1、2ヶ月後に入団したのでした。

最初のハコの仕事は「船橋」の「ドラゴン」とか言う、元GSの「ジャガース」のボーカルだった岡本信也さんのお店だそうな。メンバーはリッキーさん、大西洋さん、ギターに幸村勇二さん、ベースに岡田ストハチ(これはあだ名です)さん。

まだ寒い時期だったのですが仕事が電車のなくなる時間まで続き、始発まで系列店の「サウナ」で過ごして良いと言われたそうですが、この時間を無駄と考えたチャックさんは原付バイクで通ったそうであります。いやはや気の遠くなる話ですねぇ。そしてこの「ディスコ」はあまりお客さんも入らず、店主の岡本さんも時々顔を出しては歌を歌っていったそうであります。全員新メンバーだったし、ま、初心者キーボードのチャックさんにとっては助かったんじゃないでしょうかね。

それはそうとキーボードは上手く弾けたのでしょうか。「ぜーんぜんダメ。」って、だって高級オルガンを買って頑張ったんでしょ? 「それが鍵盤が全く見えないんだよ。白い帯と黒い帯が横長にあって、“ALBATROSS”の時に弾いていた時とは全く感じが違っちまってね。焦りなんだろうな。」だってそれじゃぁ仕事にならないじゃないですか。「そーなのよ」。そーなのよって、大丈夫なんすか? でも何とかかんとかコードを押させて演奏をしたそうですが、リッキーさんに「メロディー弾いて!」とか、急に振られてしまうともうヒッチャカメッチャカになってしまったそうです。へー、チャックさんがね。

しばらく「船橋」で仕事をすると、次に「大阪」行きの話が出てまいりまして、「船橋」の仕事の最終日にはアタフタと身支度をし、その足で深夜「大阪」へと向かったのでありました。みんなで楽器車に乗り込み、深夜の東名、名神高速を、いざ西へ!

下手なのがバレる前に、鍵盤見っけ!

「大阪」へ着いたのが朝8時頃だったそうであります。「大阪」が地元のリッキーさんの運転でウロチョロと目的地を探し、大体の見当をつけたのが11時近かったそうであります。腹も減ったし、と言うとこで「お好み焼き屋」を探したのですがまだ午前中、開いちゃぁいなかったそうであります。「何を喰ったか忘れちまったい!」だそうですが、仕事場は「心斎橋」にあるホテル「ドゥー・スポーツ・プラザ」内の「サウス・エンド」という、またしても「ディスコ」。この時期はチャックさんが好きだった「ビージーズ」の「サタディナイト・フィーバー」(この曲が好きなわけではないので誤解の無きようとのことです)が火付け役となってか「ディスコ・ブーム」だったようであります。バンドの仕事と言っちゃぁ殆ど「ディスコ」。「バンドはダンシング・マシーンだったのさ」だそうです。

だがしかし、「東京」から来たバンドと言うこともあり、結構人気者になったそうで、毎日が押すな押すなの大盛況。あの100kgもあるハモンド・オルガンが動いてしまうほどお客さんが迫って来たそうであります。混んでいてわんさかわんさかしていると下手なのがバレなくて、いつ下手なのがバレちまうのかとヒヤヒヤして演奏していたそうであります。

でもバンドはまだ出来たばかりで毎日リハーサルを繰り返したそうですな。そりゃぁそうでしょ。そんでキーボードは? 「聞いてよ! 1カ月もしてかなぁ、突然鍵盤が見えるようになったんだ。」へ~。どういうことですか? 「毎日四苦八苦してキーボードを弾いていたのだけれど、アドリブの真似事をしていたらパーッと白鍵の上に3、2、3、2って黒鍵が並んでいるのが見えたんだ。この時は感激した。これで弾ける! っと言う気持ちになったんだ。キーボードって鍵盤が並んでいることを知ったのさ」。そりゃぁキーボ-ドはみんなそうなってるんでしょ?! 「だけどそれが見えなかったんだから。わかんねぇかなぁ」。わかりません。ともあれ、そんなことがあってチャックさんは急激にキーボードが上手になってきたんだとさ。

大阪に野球をしに行ったわけじゃ…

少しずつ余裕も出てきたチャックさんは、地元であるリッキーさんの弟さんの所属している草野球チームに参加するようになったんでござんす。高校卒業以来10年ぶりに野球場を駆けずり回ったのだそうで。またチームの監督さんには高校野球経験者であるチャックさんは好感をもたれたそうであります。昔とった杵柄ってぇのは時として役に立つものでございますね。体つきもガッチリしていてデッチリだったチャックさんはチーム・メイトから「ユニフォームが似合うなぁ」と羨ましがられたそうであります。調子に乗って急激に走って肉離れを起こしたりで大変なこともあったようですが、肩の良い監督から試合前によくキャッチボールに誘われ遠投をしたそうですが、この時まだ90M以上は投げることが出来たのが嬉しかったそうです。凄いなぁ。でも「現役の時は100M以上投げることが出来たよ。」と言っておりました。ハイ。六大学からお誘いのあった選手ですからね。それにしても当時の「吉野家」のCMで「ヤッターッ! 明日はホームランだ!」と言うのを間に受けて試合前日に食べたそうですが3三振だそうで「吉野家」が騙したと騒いでいましたが、この単純さは何なのでしょうか?! それにしても何しに「大阪」まで…!?

野球はさておき、お仕事はというと順調そのもの。宿舎はリッキーさんはご実家から通う事となり、2名ホテル、2名近くのマンションと言うことになりました。ホームシックになったストハチは毎日彼女に電話で月10万円も遣ってしまいました。給料は殆ど残らなかったと言うことです。雑念無く仕事に集中してれば良いのに…人それぞれですけど。

デコボコですけれどいよいよバンドを確立する方向へリハーサルと仕事の毎日。リッキーさんとチャックさんはプラス野球ですけれど。ま、頑張って大阪の生活を過ごしたのでした。オリジナルも少しずつ力を入れ、増えてきた“REVOLVER”。果たしてどのような展開になるのでしょう!? またまた次回のおっ楽しみーっ!