【連載15】チャック近藤の昔々

FC会報誌「C.K.Press」(1997年~)に掲載したものを、 月に1度連載します。(画像が不鮮明ですが何卒ご容赦下さい)

昔々第15

前回はALBATROSSの解散など大きな動きがありましたね。でもとてもよい再会もありました。チャックさんの喜びの話を引き続きお送りしましょう。みなさんも心温まってくださいね。

温かい関係、吸収、幸せ者。

「ヒューズ・コーポレーション」のツアーが進むにつれて、カールとセント・クレアーが事あるごとにチャックさんをホテルに呼び寄せたのでした。いやー、またかよ、なんてぇことは全く思わなく、喜んでヒョコヒョコ行ったそうであります。もっとも昼間はバック・バンドから弦が切れた、何々が欲しい、イタリアン・レストランに行きたいだの、まぁよく電話がかかって来たそうで、ホテルに通ったのはツアーの後や夜だったそうであります。カール、セント・クレアーと3人で1階のラウンジでお茶を飲んだり、カールはよく部屋に呼んでくれて色々なアドバイスをしてくれたそうであります。例えばチャックさんにチャックさんのオリジナルを歌わせて、その詩を作る際に重要になる”Rhyme”(韻)というものを教えてくれたり、またある時はリズムのとり方。例えばカールが簡単なステップを踏んで、チャックさんに真似させる。そこで「振りが小さい」とか「もっと深くリズムをとれ」とか、リズムとは何たるかを丁寧にわかりやすく説明してくれたそうであります。そしてチャックさん自身「学校英語はダメだけれど、辞書に載っていないものとか知ってるよ」と言ってますが、スラング(俗語)とか、こういうときにはこの言葉をといった適材適所を教わったそうであります。これはかなり充実してますなぁ。

そんな夜のこと、珍しくセント・クレアーの部屋に呼ばれ「チャック、将来はどうしようと思っているんだい?」と来たもんで、もちろん音楽を続けることを話したそうであります。すると、まずメモにセント・クレアーの住所を記し、ゆっくり話を続けたのであります。彼の話しは具体的なことで、チャックさんにアメリカに行ってみたいかということを確かめた後に、「まずアメリカに行く予定が立ったら、この住所に手紙で何時から何時までいるのか予定を書いて返事を待つんだ。もし予定の時にツアーで不在ということも考えられる。そうした場合には…」といった具体的な説明を受けたそうで、ふんふんと聞いていたチャックさんに「わかったか?」と聞き、「わかりました」と答えたら「それじゃわかったかどうか確認しよう」と「僕が言った事をチャックが僕に説明してくれ」と言ったのだそうであります。なるほど、これじゃぁチャックさん得意の知ったかぶりは出来ませんな…あっ!こりゃあ失礼しました。一言一言、自分自身に言いかけるように説明を始めるとセント・クレアーはトレード・マークのパイプをくわえ、チャックさんの説明にうなずいていたそうであります。実際には残念ながらアメリカ行きの実現はしなかったそうでありますが、またしても心温まる人情に包まれたチャックさんでありました。ホントにお金では買えない良い経験してますよね。羨ましい限りです。

レベルの違い。そしてまた別れ。

さて、いよいよツアーも順調に進み、終わりが近づいてきました。と言うことは「ヒューズ」の連中とはお別れなのですね。まぁ、寂しいこと。せっかく良い関係が構築され始めたってぇのに、なんだかもったいない気がしますね。実際チャックさんはある種「悔しい」という感情も起ったそうです。わかるなぁ。私が分かってもしょうがない?すんません。

残念ながらメンバーの帰る日がやってきました。当時はまだ「羽田空港」です。全員で食事とお茶を静かに飲んでいたそうです。チャックさんはバック・バンドと楽しい歓談に切り替え、ドラマーに当時流行っていたフレーズの話などをしていたそうです。ハッキリ言って、それほど良いとは思えなかったドラマーだったそうですが、チャックさんが要求したフレーズをいとも簡単に聞かせ、驚いたチャックさんが「素晴らしい!」と言ったらなんと否定したのだそうです。つまり、こういった基本的なプレイは出来て当たり前であり、それが出来た上で自分のキャラクターやオリジナリティーを発揮していかなければならないのであって、それが出来て初めて一流と呼ばれるのだと言うのです。チャックさんは彼の動作や話を聞いてレベルの差を大きく感じたそうであります。その言葉は後のチャックさんが音楽仲間に話す言葉の基礎にもなっているそうです。う~む、これには感心ですね。

いよいよ彼たちが日本を離れるときがやってきました。出発ロビーへ向かい、メンバーのみんなと別れの言葉を交わしていたら、何とリードボーカルのヒュー・アン・ルイスが、’Hey! Chuck’と言って近づいてきたそうであります。日ごろ彼女はチャックさんに好意は持っていたものの、初来日の時、迎えに言った車で「あんまり揺らさないで!」と言われ、チャックさんは「心得ています。」というつもりが「わかってるよ。」って言ってしまったそうで、英語も今ひとつだったとはいえチョット場の雰囲気が悪くなった想い出もあるし、仕事のとき以外はほとんど会話もしなかったそうですから、そりゃぁ驚きでしょう。そして、’Thank you, so much’と言って左右の頬にチュッ!これにはチャックさんもビビったそうです。何でも黒人の女性と握手はあったものの、触れた(触れられた?)なんてことは生れて初めてだったので結構カルチャー・ショックだったそうであります。とは言え、ようやく最後の最後でヒュー・アン・ルイスとも心が通ってとても嬉しかったそうであります。そうでしょう、そうでしょう。またしてもお金では買えない心温まるお話ですね。良いな良いな。

大橋巨泉がいた!漁師になった!何それ!?

そうした心温まるのは大変結構なのですが、何せボランティア。収入も無く、音楽活動もALBATROSSが別れてしまったし、どうするのでしょうか? まぁ、親元で暮らしているから切羽詰まったと言うことも無いでしょうが、ボーっとしているわけにもいきませんわな。

そんな中、ちょっとした仕事が舞い込んできたそうで。クリスマスの間だけの演奏を依頼されたのでした。3日間ほど六本木のとある店。これっきりのメンバーを集めてこなしたそうですが、そのメンバーとは、この話を持ってきてくれた鈴木登さん、そしてとうに離れていたボン太こと長谷川勉さん。それにRickyさんなのです。面白い組み合わせですね。聴いてみたかったなぁ。チャックさんテープか何か残っていません?「無いよ」。あ、そうですか。残念。このときの思い出は、大橋巨泉さんがお客さんで来ていて興味深げにバンドを見ていたそうです。チャックさんは目に留まって良い話があればいいのに、と思っていたそうですが、興味は示しながらも大声で歓談していたそうです。目に浮かびますね。

仕事という仕事はあまり無く、自宅でオリジナルなどを作っていたのですが、夏になりひょんな事から千葉は九十九里浜の網元のところで漁師のアルバイトをすると言うことになったのであります。元ALBATROSSのメンバーで幼馴染の川瀬卓也さんが誘ってくれたそうですが…それって漁師でしょ?何でまた?何事も経験とはいえ…。

ともかくその漁師のアルバイトは結構過酷で、朝5時から夜10時までの仕事だそうで海パン一丁で働くのであります。チャックさんの初日はピーカンの天気で色白のチャックさんは真っ赤っか。でも海水を含んだ地引網を二人で担がなければならなくて、真っ赤に焼けた肩はいきなり剥けてしまったそうであります。うわ~痛そう。

網元ということもあり、大きなところで民宿も営んでいるため消灯の夜10時まで働くというわけなんですね。朝一番で浜辺まで走って行き、遠浅の九十九里なので舟を押して沖まで出し、船から投げられたロープの端をつかみ浜辺まで引っ張って行く。船がぐるりと海を回って戻り、ロープの逆の端をまた船から投げられる。そのロープの両端を引っ張り、観光客に引かせる頃はすでに8時頃。結構大変な仕事なんですね。体力に自信のあったチャックさんは更に体力に磨きをかけたそうですが、アルバイトに来ていた数人の高校生は8人くらい居たのがアッという間に3人になってしまったそうです。その根性(死語かな?)で残ったものの、海水を含んだ地引網を丸太にかけて持ち上げると言うことはきつかったようでチャックさんが前、高校生が後ろを担ぐ形では、よく後ろが立てなくて困ったそうです。しかし、なんでまぁこんなに色んなことをやっているのでしょう?だってチャックさんってミュージシャンでしょ?九十九里にまで行って漁師をしなくても他にあったでしょうに。この「昔々」に出てこないまでも、聞くところまだ他にも色んな仕事をやっているようです。でもチャックさん曰く、その一つひとつが人生の肥やしになっているとかいないとか…。九十九里の話もまだあるようですが、ちょうど時間となりました。続きは次回のお楽しみー!