【連載10】チャック近藤の昔々

FC会報誌「C.K.Press」(1997年~)に掲載したものを、 月に1度連載します。(画像が不鮮明ですが何卒ご容赦下さい)

昔々第10

本格的に音楽のお仕事が始まった幸雄青年。コロンビアからもお声がかかり、さあ東京へ帰るぞー!

やっぱり山も谷もあったのね。

無事、箱根の初仕事の2ヶ月半が過ぎ、東京へ帰ってきました。となるとまずやることは?そうコロンビアへ行って今後のことをお話しするんでございます。ALBATROSSの担当をするのは、なんと弘田三枝子のディレクターである田代氏ではないか!と言っても知らなかったんでありますが…。

まず、ディレクターに言われたのがテスト・レコーディングでありました。録音なんざぁ手慣れたもんよ、と思ったら大間違い。本格的なスタジオ入りは久しぶり。なかでも小西くんは初体験。張り切り屋の小西くんは絶好調で歯止めなんか効くもんではありません。終始嬉しそうにニコニコだったそうであります。そして3曲のテスト・レコーディングを終えたのであります。出来はというと「うーむ」だそうで、ピアノのチューニングが悪く、もう一つ乗り切れなかったそうであります。

それでも話は進んで行き、英語の歌詞は全てネイティブアメリカ人にチェックされ修正されたのであります。それはそれで良い、というより有りがたいことでは有ったのですが、やはり来ました「どれか日本語に出来る曲無いかな」ってぇのが。そりゃそうですよね、ここは日本なんだし、日本のレコード会社から出そうってんだから。4年前のCBSソニーでは洋楽が強かったからまだ良かったものの…ん? でも失敗だったんだよね。ま、良いじゃないっすか。とにかくそう言うことでした。ロビーで話をしていたらディレクターが「あそこに座ってるやつがいるだろう」「え?あ、はい」「あいつも英語で持って来たんだよ。聴いてみるかい?」と言ってテープを聴いてみると、なんとファンキーでいかしていたそうであります。「うーむ、なかなかやるな」とは思ったものの気にも止めなかったのでありました。

あー、何たることだ!

勿論不安はあったものの、今度こそはレコードを出すぞと思っていたALBATROSS。曲もたくさん書いて頑張るぞ、は、いいんですが、時折コロムビアに呼ばれては「どう?日本語の歌詞出来た?」とか言われて、その上「仮に君たちのファンが1000人いたとしても実際にお金を出してレコードを買うのは1割に満たない」とか厳しいことばかり。挙句の果てに「ドラムが良くないので替えて欲しい」だと。ガーン!あー、何たることだ! 事も有ろうに一人辞めさせろってぇ言うんですかい? テストであんなに張り切っていた小西くんを辞めさせるんですかい? あー、どうしよう。それを言われたのは幸雄青年が一人の時。飛んで行って鈴木くんに相談したそうであります。4年前と違って、この時には既にレコーディングモードに入っていた鈴木くんも「でも。辞めてもらうしかない」という結論でした。え?じゃ、それ誰が小西くんに言うの?そりゃーないよー! なんでそんなのばっかり…おわかりですね、決まって幸雄青年が任されるのであります。

小日向第2スタジオ(鈴木くんの家の2階)で幸雄青年は「俺たちにとってはチャンスだし」と切り出すと、小西くんは察していたようだったそうであります。でも小西くんはクビになってからもALBATROSSのために歌詞を書き続けてくれたそうで、きっと小西くんも一緒に夢を追っていったのでしょうね。

4人になってALBATROSS新装開店! 

そーと決まりぁーメンバー探し。お茶の水の楽器屋という楽器屋に「ドラムス募集」の張り紙。つては勿論くまなく当たり、応募はたったの1名。そんなもんで、とりあえず決定!早稲田の学生で名は長谷川努。銀行員の倅でボンボンでありました。既に「明大前」にマンションを買い与えられており、親から銀行に振り込まれラディックのドラムセットをキャッシュで買う、なんてぇ輩でございやした。風貌は本人曰く「よくミック・ジャガーに似ていると言われます」だそうで、でも幸雄青年はと鈴木くんは「お前、世志ぼん太のほうが似てるよ」てぇことで、この日よりあだ名は「ぼん太」ということになりました。それでも便利なことはあったもんで、勿論マンションには集まることが出来、練習は早稲田大学の部室、食事は学食。学祭には大隈講堂でライブなんて事が出来たのでありました。

そして鈴木くんの要望によりもう一人、幸雄青年の幼友達の川瀬卓也くんがギターで参加。川瀬くんは昔寺内タケシ門下の「テリーズ」というグループでプロだったのです。いわゆるG.Sの経験者でした。覚えている方もいらっしゃるだろうか?幸雄やや青年のころ、高校の文化祭でギターを弾いた川瀬くんであります。

さあ、これでALBATROSSも4人になり、サウンドもややではありますがまとまりを見せ、いよいよ仕事しようかなんて思いは強くなり、幸雄青年は箱根へアプローチ。やったぁ!たったの5日間だけど「クリスマス・イベント」で使って貰える。これで箱根で演奏をまとめ、コロムビアのディレクターに聴いて貰えば上手く行くかも。

時は、‘74年12月。さっそうと!?箱根のホテルを目指し出発するのでありました。新生ALBATROSSは上手く行くのでしょうか?サウンドはまとまるのでしょうか?

それぞれに夢を胸に抱き、今度こそと言う幸雄青年の将来はいかに!