【連載17】チャック近藤の昔々

FC会報誌「C.K.Press」(1997年~)に掲載したものを、 月に1度連載します。(画像が不鮮明ですが何卒ご容赦下さい)

昔々第17回

さてさて今度はどんなことをやるのでしょうか?20歳代後半に差し掛かり、少しは人生観が変わったのでしょうか?それにしても思いがけないことをやるものです。

破れかぶれの「歌謡コーラス・バンド」

夏も終わりに近づき、九十九里の仲間とは東京へ帰る際、房総は「白浜」方面を回り、「網元」で稼いだお金で何処ぞの民宿に一泊し、「マカナイ」ではない海の幸をたらふく食べて疲れを癒したそうであります。「体を張った仕事ってぇもんは、特に泣き笑いが身に染みることが多いような気がするねぇ」とチャックさん。想いに耽っているようでした。

さて、思い出ばかりに耽っていても先に進みません…え、これは想い出話ですって?それはそうでした。では更にチャックさんに思い出話に耽っていただき、いろいろなお話をして貰いましょう。

東京へ戻り、「さて、じゃぁ今度は何をやって稼ぐべぇか(言葉がまだ九十九里になってる)」と考えると、またしても幼馴染の卓ちゃん(川瀬卓也)が声をかけてくれたのだそうで、それがアータ、今度は「歌謡コーラス」のお仕事だそうであります。いわゆるその、何て言うか…実は私は良く知らないんですけど「ハッピー・アンド・ブルー」とか、えーと何でしたっけ?

ま、兎に角「演歌」と「ポップス」を混ぜたような歌謡曲のコーラス・グループ…で良いんですかね? そういうグループのベースのトラ(エキストラ)だそうでした。有り難いのでしょうけれどチャックさんは「日本の音楽音痴」だったし、何となく嫌な予感がしたそうですが、何かしなくちゃいけないってんでやらせてもらうことにしたそうです。資料を貰ってみると確かに1回や2回は耳にしている曲ばかりで、でも自分では絶対にやらない曲としていたものばかりだったそうであります。でも気を取り直して聴いてみるとボーカルは結構歌唱力のある若者だったのです。それもそのはず、これも私は良く知らないんですけれど、何でも日本テレビでやっていた「歌謡選手権大会」とかいう番組で7週も勝ち抜いた方だそうであります。この番組の審査はかなり厳しいと言う評判だったそうで、それを7週も勝ち抜くというのはかなりの実力者だそうなんであります。ふむふむ、そりゃぁきっと上手いんだろうな。

と言うこともあり、必死で曲のコピーに励み、とは言えだいぶ譜面は揃っていたそうです。リハーサルもするでもなく、前任のプレーを1,2度聴きに行っただけでの本番でした。まぁ既に感じ取ってはいたものの、「自分が白いスーツに白い靴。フリルのシャツに別珍の大きな蝶ネクタイをしてステージに上がるとは思いもしなかった。」そうであります。いや、良いんじゃないですか?見てみたいですね。そのいで立ち。ね、みなさん。え?写真無いんですかい?残念ですねぇ。でもそれだけじゃなく、「パープル・シャドウズ」というグループだそうですが、そのリーダーの指示により曲にあわせて横揺れにリズムを取るのだそうです。あぁ正しく「歌謡コーラス・バンド」。「懐かしのヒット曲」とかいう番組で想い出映像に出てくるああいった感じなんでござんすね。見たことありますよ。ハハハ、チャックさんがね。でもそこにお世話になる以上、「もう、破れかぶれ」だったそうであります。ハハハ、こりゃ失礼。

新バンド結成と初CMソング

「歌謡コーラス」を半年もやった頃だったか、仲間から「歌謡コーラス」を脱皮して新しいバンドをと言う声が出て来て、もちろん担ぎ上げられたのがチャックさん。メンバーは卓ちゃんとドラムにルー(村山勝彦)という大工の倅。そして彼のブレーンのギタリストでミッチョンと言う人が紹介され、初仕事は「五反田」にあったキャバレー・チェーンの「うらしま」と言う店だったそうな。それでも4~5バンドのオーディションから勝ち取った仕事だそうで、そういったバンドが当時ゴロゴロしていたそうであります。

店はと言うと今どきの風俗の走りで、「1時間何千円ポッキリ」とかいう何とも下品な店だったそうであります。でも一つ良かったのはアップ・テンポとかスローな曲などと注文はあったものの選曲は好き放題だったそうで、オリジナルなんかも平気な顔して演奏していたそうであります。何故かこの店に気に入られ3ヶ月ほど通ったそうであります。バンド名は無かったので無理やりに付けた“Strawberry”。でもそこで働いている「お姉さん」ならず「おばちゃん」達に結構人気があったそうですよ。帰り際なんかに「ストローベリーさん、お疲れさま」なんちゃって、よく声をかけられたそうです。

そんな中、旧友で作曲家の小松さんから連絡があり、CMソングの依頼を受けたそうであります。クライアントは銀座「三愛」でFM用の50秒の歌詞は英語の歌。予め小松さんから自分で仮録音をしたテープを渡され曲を覚えたそうであります。チャックさんにとっては久々のスタジオ入りであります。午前中にはカラオケのレコーディングで、それを聴きながら曲をマスターし、午後には歌を入れて終了といった一日仕事だそうです。ところがいざ歌入れというときに「ここ変えたから」と平然と仰る小松さんがそこに居たそうで、瞬時に切り替え、はたまた壮大なバック・コーラスも小松さんと二人で総べてやるといったCMソング初仕事だったそうであります。当時シンセサイザーがドンドン発達してオーケストラ協会から苦情も出たくらいだそうで、このレコーディングにもストリングスのマシンで「ソリーナ」という当時では最高に評価されていた楽器を使用したそうです。でもチャックさん曰く「今じゃとても使い物にならない音色だけど、当時は驚きだったんだよね。ずいぶんと発達したもんだ。10分の1

の価格で10倍も良い音が出せるようになるなんてね。」と。ソロにバック・コーラスにメロディ変更に苦労はしたけれど後に業界ではとても評判の良い曲になったそうで、チャックさんも「とても嬉しかったし、良い曲だった。」と当時を振り返っていました。

放送されたのは6ヶ月ほどだったそうですが、友人から電話で「あのCMソング歌ってるのお前だろ」と言われたそうで、でもおしゃべりのバックで流れている曲だったそうですが分かってしまうほど特徴があるんですね。そしてもう一人の友人は銀座の「三愛」でも流れていると教えてくれたのだそうです。もう少し巷に流れていれば良かったのに。

「バンドマン」と「ミュージシャン」

さて次の仕事と言うときに、折しも六本木「ケントス」が当たって世はオールディーズ・ブーム。街にはアフロが消え、何故かリーゼントが増え始めたのであります。当然、バンドに要求されるナンバーもオールディーズであります。チャックさんはもともとポップス思考で、コテコテのロックンロールはあまり好きではないそうで、だが少々気の進まないところはさて置いてロックンロールのレパートリーを増やしたそうであります。とは言っても、やはり気が進まずロックンロールの曲は全てビートルズ・ナンバーだったそうであります。そうですよね、ビートルズもカバーの曲はみんなオールディーズですものね。

そういったブームも手伝ってか、実力があってなのか仕事の量も増え、メンバーも補強してバンド名も改め、衣装も作ったりして、少々売れっ子の「ディスコ・バンド」になったそうであります。そうバンド名は「バック・アイランド」。何故この名前を付けたかチャックさんに聞いてみました。「日本という国はアジア大陸の裏にあるような感じで、しかも島国でしょ。だから裏の島で『バック・アイランド』よ。分かった?え、バレちゃった?そうか、そうなのよ。このバンドの発祥は『キャバレー・うらしま』なのよね。だから浦の島で『バック・アイランド』。ハハハ、いかしてるでしょ?(死語)」。やっぱな、そういう事だと思いましたよ。しかし上手いこと付けますよね。当時の事務所の社長にも「カッコいいバンド名」と褒められたそうです。名前の由来も知らないでねぇ。

オールディーズの流行で仕事が増えているにもかかわらず、レパートリーは70年代のヒッ曲を多く演奏したそうで、そう思い出してください。浅草のディスコ時代でもステップが流行っているにもかかわらずビートルズやビージーズの曲を演奏していたチャックさんですものね。うなずけますよ。でもそういう事より、もっと重要なことで大きな悩みを持ったそうであります。「歌謡コーラス・バンド」はともかく、それまで当たり前と思っていたことが出来ないという壁にブチ当たってしまったそうであります。実際に東京で「ハコ」という仕事に就いたのは初めてと言っていいでしょう。そこで何を感じたかというと「その程度の実力でお金取っているの?」だったそうであります。それは“ALBATROSS”の時の「当たり前」とは程遠く、大きなショックを受けたそうです。「ショー」と言ってしまえば「ショー」なのでしょうが、チャックさんは「ショー」ではなく「ライブ」をしたかったと回想しています。良いとか悪いとかではなく、バンド・マンとミュージシャンの違いをもの凄く感じたのだそうです。ハッキリ言って私たち素人にはわかり辛いことなのですが、チャックさんはこう言っています。「アメリカではユニオン(組合)があって、実力が無ければその組合にも入れず、従って力がないと仕事に就くのも難しい。でもその分しっかりした組織でミュージシャンに対するサポートも優れている。だが日本には組合が無く、チョット歌える、チョット楽器が出来るというだけで、キッカケさえあればバンド・マンになれてしまう。驚くことにバンドの仕事の中に『たちんぼ』と言うのがあって、頭数を揃えるために何も出来なくてもタンバリンかなんか持たせて立たせておく、というのがあるんだよ。バンドと同じようにちゃんとギャラが出るんだよ。笑っちゃうよね。でもこれが現実で、これだけを取ってみても欧米諸国と日本とのレベルの差が歴然だね。スポーツでも何でもかんでも『外人は上手い』とか『外人は強い』とかいう一種の逃げは日本のシステムに問題があると思う」のだそうです。う~む、頭が痛くなってきた。ちょっと私どもには難しいですね。

さて、仕事は順調に見えてはいたのですが、メンバーの一人に反乱者が居て解散の運びとなってしまったそうであります。聞くところによるとその人はバンドの「壊し屋」という異名を持ってる人だったとか。とんでもない人メンバーに入れちゃったんですね。さて、これからの音楽活動は一体どうなるんでしょう。次回のおっ楽しみー!

「バック・アイランド」のメンバー左から、マサミ、ルー、チャック、マロ、ミッチョン。チャックさん28歳。